【多死社会】日本で火葬待ち2週間。増え続ける無縁仏は不幸なことなのか?馬鹿らしいのは常識に捉われ過ぎて不安がること。#368

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【編集後記】
誰にも避けては通れない死について、葬儀を通した面から私の考えをシェアしてみました、
冠婚葬祭ビジネスというのは、ある面では非常にありがたい存在であることは間違いありませんが、ちょっと行き過ぎのところもあり、これからは厳しい業界になっていくのではないでしょうか。

そんなことはどうでもいいのですが、私はなにより孤独感を感じている方が非常に多くなってきていると感じており、同時に死んだらどうなるのか、無縁仏になるのかなどの不安がよぎっていると思います。
無縁仏というと、その言葉の印象から成仏できないのではないかとかいろいろ嫌なイメージが先行してしまうのでしょうが、そんなことはないと思います。

実際の話、あの世と言われているところには地獄とか天国とかというものはないという説があります。
祈らないと地獄に落ちる・・・これは宗教をビジネスにしている者たちによる騙しだと思います。

そういった世の中のしくみを理解することで、今抱えている不安や孤独感というのはただの刷り込まれたことなのかもしれないということに氣がついた方がいいのかもしれません。

【以下、文字起こし】

みなさんこんにちは。好奇心TVです。

今回の動画は、誰もが避けては通れない死について私が感じている事をシェアしていこうと思います。

このテーマはいつも配信している動画の内容とは少し毛並みが違うように思えるかもしれませんが、こうしなければならないという常識のウソホントに捉われすぎて、今この瞬間を不安で過ごすことが馬鹿らしいという視点では有りかなと思い取り上げることにしました。

このテーマを取り上げたのは、ここ最近多く聞かれる有名人の訃報の多さからきたものですが、その中で特に葬儀について家族葬という単語に反応してしまいました。

家族葬という単語をよく聞くようになったと思いませんでしょうか?

そして直葬ということばも最近知りました。

これは私事でもあるのですが、自分の葬式とかお墓のことなどを考えるとこの世を去ったあとまでも周囲に迷惑をかけたくないなという想いもありますし、非常に興味のあるテーマですので動画にしてみました。

同様にこうしたことに漠然とした不安を抱えているかたの精神的ストレスや不安が少しでも和らげることができたらと思います。

お心当たりのある方はぜひ最後までご視聴ください。

このチャンネルでは、自分や家族の身を守るためにできることや、日本人がこれ以上騙されることがないようにするための情報を発信しています。

チャンネル登録がお済みでない方はぜひチャンネル登録をお願いします。

さて、今回のテーマを取り上げたのは、あるウェブニュースで知ったことにあります。

それはなにかというと、全国の火葬場で火葬待ちという現象が起きているというニュースでした。

なんと全国的に火葬待ち現象が起きており、それは自治体によって違うのですが14日待ちとか17日待ちということが起きているというのです。

そのニュース記事には多死社会という言葉が使われており、その意味はお察しの通りなのですが、高齢化社会の訪れと共に火葬場が大忙しというわけです。

そういえば、アノ病氣が蔓延していた時期に、隣の赤い国では同様に火葬場がパニックになっていて、待ちきれない人たちの中には自分たちで河原で火葬したり、川に流すなどしていたそうで、衛生的にもよろしくないですし、上流から仏様が流れてくるなんてことを想像しただけでも恐ろしいことです。

確かに高齢化社会の到来と共に火葬場が足りなくなっているという話には妙に納得すると共に、2020年に起きたアレ対策のアレが原因で死期を早めた人はどのくらいいるのだろうかということも考えましたが、そこをテーマにするとまた動画削除されますので触れないことにします。

私などは有名人の訃報を聞いた時に、やはり死因をチェックしてしまいます。

つい最近では女優の山本陽子さんが急性心不全でお亡くなりになりました。

やはりついさっきまで普通に会話していたのに、という関係者の証言を聞くと、またまた疑惑の念が湧いてくるわけです。

その山本陽子さんの訃報を伝える記事には、葬儀について家族葬にて葬儀を済ませるということが書かれていました。

最近家族葬ということがよく言われていますよね。

同時に今までのような葬儀を一般葬と区別して呼んでいるそうですが、一般葬という従来の葬儀方法は確実に減っていく状況にあるそうです。

それによって喪服の売上が落ちているという情報もあり、時代の流れを読むというのは連想ゲームのようで興味深いと思いました。

今回取り上げる話を進めるにあたって、葬儀関係者に対する批判ではなく、自分の葬式や死後の事に関連した不安を抱えているかたに対して、もっと氣楽に生きられるような情報をシェアしていこうと思っています。

というのは、最近私も自分の死について考えることがあり、それなりの解決策は見出せたものの、中にはこうしなければならないという常識に捉われ過ぎることで、不安な毎日を送っている人もいるかと思い動画を作成しようと思った次第です。

どれだけのニーズがある動画になるかはわかりませんが、たとえ少数派であったとしてもそのかたのお役に立てればと思います。

今葬儀業界では、大きな変化が起きているということが言われています。

どういうことかというと、葬儀離れの傾向が進んでいるというのです。

葬儀離れって、葬儀をしないということなのかというとその通りです。

正確には今までのような葬儀をしないということです。

うちうちでひっそりと執り行う家族葬というものが多くなってきているのです。

他にも家族だけで行う密葬というものは昔からあったのだそうですが、その後に故人を偲ぶ会のようなことを行っていたりするので、その点で家族葬とは異なるようです。

それに対して通常の一般葬と言われている葬儀では、画像や動画をモニターなどの機器を使って、参列者が故人を偲ぶという演出が施されていることもありますし、それは非常に効果的なものだと思います。

ところが、ここ最近ではそういった一般葬が激減しているといいます。

その理由は端的に費用の問題です。

知らなかったのですが、日本の葬式費用というのは世界一高いのだそうです。

平均費用が231万円ということで、遺族への負担も大きいのではないかと思います。

遺族の経済的事情から家族葬が増えることで葬儀業界の売上も下がる傾向にあるからなのか、家族葬の価格が上昇しているということです。

結婚式にかかる費用もそうですが、仕事とはいえあまりに法外な費用がかかる現状には複雑な想いが湧き上がるのは私だけではないと思います。

私も義理の父が亡くなった時に経験したことがあるのですが、病院で息を引き取った途端に業者が現れ、葬儀の案内や手配をフォローしてくれ驚いた記憶があります。

このような情報というのは病院側と連携しているものと思われますが、悲しみの中にあって、やらなければならないことを代行、フォローしてくれるサービスには感謝しかありませんが、費用をみて驚く事になります。

悲しみの中どうしてもやらなければならないことはあって、祭壇のグレードや、花は生花にするのか造花で済ませるのか、さらにはお坊さんの人数や戒名のグレードなど他にも多くのことを決めていかなくてはいけません。

戒名について知らなかったのですが、自分で勝手に付けてもいいのだそうです。

それに対する法的な拘束もあるわけでもなく、ただ戒名というのは、仏様の弟子になる証として授かる名前ということで、 仏道を説くお坊さんに付けてもらうのが一般的なため、菩提寺に相談しておくのがマナーなのだそうです。

このような経験を通して正直言って人の死ってなんなんだろうと考えてしまった記憶があります。

その後、お墓を建てる事になり、そこにも石材の種類によって金額は千差万別で驚く事になるのですが、その時の選択は大島石という石材を使用したもので、大変貴重な石だという説明を受けたことで納得し、確か300万円ほどしたと思います。

繰り返しますが、冠婚葬祭ビジネス業界への批判をしたいわけではありません。

こうした常識によって縛られる事で、もしそれらをしなかったら子孫の発展はないとか、バチがあたるとか、体裁が悪いという不安にさらされていることは馬鹿らしいということを思うのです。

ただでさえ物価高やこれから起きる可能性が高い経済ショックへの不安もあるのに、死後のことまで考えると落ち込む事になると思います。

私などは死後のことについて一時期かなり考えました。

自分の死後にまで遺族に経済的に迷惑をかけたくないというわけです。

それらの心配は全く不要なかたには関係のない話となりますが、今現在は未婚のまま老後を迎える人や、離婚して子供とは離れ離れ、家族や親戚とも疎遠になっているという人が増えているのが日本の社会構造となっています。

さらに大きな社会構造の変化としては非正規労働者が全体の40%を超えることになっているし、年数を重ねれば収入が上がっていくという社会システムは崩壊しつつあり、この傾向は今後ますます増えていくことになります。

ということは今後の日本社会というのは、明らかに経済的に余裕がない人たちが増えていく傾向にあると言えます。

そのような背景があって今回取り上げているテーマに向きあうことになる人も増加することになるのではないでしょうか。

まともに葬式もできないし、お墓もないという自分の状況を考えた時に、なんとも言えない不安と焦り、失望感や孤独感に襲われることになると思いますが、私は全然そんなことはないと思います。

死に関しては宗教観もあるので、一概になにが正しいとかなにが間違っているとか言えるものではありませんが、そこに捉われすぎて今現在や将来に不安を抱くのは馬鹿らしいと思います。

お墓がなければならないとか、戒名に院号が付いていなければ世間体が悪いなどということはただの思い込みである可能性が高いのです。

そうは言っても理屈通りには割り切れないと思いますが、もしかしたらそれはただの執着なのかもしれません。

そして今回情報を集めていてびっくりしたのですが、究極の方法として直葬という選択もあるとのことです。

なんと0円で葬儀ができるというものです。

それらの実現にはいくつかの条件があるのですが挙げてみると

1)火葬場は自治体が運営していること

2)火葬場まで持ち込むのに自家用車を使用する

3)棺桶・骨壷は自前で用意する

4)火葬後の遺骨は引き取れない

5)健康保険から5万円が支給される

などの条件が合えば可能となります。

これらの方法は宗教観などによって拒絶感があるかもしれませんが、方法としては存在しているのです。

棺桶や骨壷は健康保険から支給される5万円で賄える範囲内となります。

1については、民間が運営する火葬場は有料でその価格は千差万別です。

8万円前後だと聞きます。

2についてこれも意外だったのですが、ご遺体を棺桶に入れてどのように運ぶかの法的拘束はないのだそうです。

さすがに背負ってバイクで運ぶということはできないと思いますが、これもビジネスになっていたのですね。

私の父の田舎では、風習としてご遺体をまさに桶に座るように入れて身内みんなで担ぎ、寺の境内を何周か回るという風習が残っており、不思議に見たことがあります。

そこには葬儀屋さんの存在はなく身内や近所の人たちが総出でいろいろなものを手作りして、あの世に旅立つ仏様を見送っていたことを記憶しています。

ただ直葬については死後のことですから自分自身ではできないので、これらのことを実行してくれる法的権利がある人がいなくてはいけません。

それも生前にどなたかに依頼できるよう法的措置など対策はあると思います。

ちなみに、行政による無縁仏処理に入る段階として、戸籍をたどり親族に対してご遺体の引き取りを打診するのだそうです。

その際、法的関係者が引き取りを拒否することで、行政による葬儀後、一定期間引き取りを待ったのち、市営霊園に合肥されるのだそうです。

この直葬というものを選択することで火葬後の遺骨は引き取れないことにもなり、納骨もなければお墓の心配も不要となります。

よって自分の死後に身内や関係者に迷惑をかけずに済むという部分で安心感があるのではないでしょうか。

これらのことは、宗教観などの違いによってあり得ないと感じる方もいることでしょう。

しかし一方で現実的な話としてひとつの社会問題になっているのは無縁仏の増加があります。

お墓を管理する立場からすると管理費の未払いが多発しており、究極は行政がその墓じまいの費用負担をしなければならないのです。

その費用も決してただではなく50万円前後かかると言います。

逆にお寺の廃業も増え続けているそうですし、記事によると2015年時点で住職のいないお寺は全国で2万箇所もあると言います。

お寺の数は全国で8万弱でそのうちの2万箇所に住職がいないというのですから、この傾向は少子高齢化と共に加速していくでしょう。

都心ではお墓がビルの中にあって、タッチパネルで墓標のようなものを呼び出してお参りするという形式のものが登場しています。

停電時にはお墓参りに行けないということでもあり、お墓に行くとお水を掛けるとかそのような風習もあったと思いますが、それも当然ないわけです。

ですから誰にも訪れる死ということに関して、時代と共に葬儀の形も墓参りという行為も変化をしているので、変に執着する必要もないのかもしれません。

いかがだったでしょうか。

今回はだれもが直面する死についてのテーマを取り扱いましたが、意外と多くの方が漠然と抱いている不安だったりするのではないでしょうか。

死については宗教観や人生観も複雑に関わってくる話なので、非常にデリケートな問題だと思いますが、先ほども言ったように多くのかたが漠然と抱いている不安だと思います。

もしかすると、先立たれたご先祖様たちはあの世から、お墓や葬儀などの形式張ったところに執着せず、人生の辛い楽しいを満喫しなさいというアドバイスが出ているかもしれません。

先の大戦で私のおじ二人が隣の赤い国とシベリアの地で戦死しており、遺骨が日本に届いたかどうかは確認できませんが、叔父といってもまだ二十歳そこそこでの戦死であり、会ったことはありませんが、それでも日本を守るために命をかけてくださった感謝の氣持ちはあるわけで、それが一番の鎮魂であり供養ではないかと思います。

そして未婚のまま生涯を終えるかたが増える中で、無縁仏と呼ばれるケースが増えたとしても、この世に生きている人たちが、過去に生きて現時点での社会を繋いでくれたそのような方々に対して感謝の氣持ちを持っていれば、供養になったり救われるのではないかと勝手に思っています。

不安はわからないことで増幅していきます。

この動画が自分の死後について心配なさっているかたにとってお役に立てればと思います。

最後までお付き合いありがとうございました。

以上で今回の話は終わりとしますが、

皆さんの応援が次の動画作成の力になりますので、いいねボタン、チャンネル登録、通知設定をオンにしていただけると嬉しいです。

また、コメント欄へのご意見、ご感想の書き込みもいただけたら励みになります。

最後までご視聴ありがとうございました。

好奇心TVでした。


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